11月、肌寒い日が増えすっかり秋だ。しかし鹿児島の秋の期間は少ない。
なぜなら最高気温が25℃以上で夏日と定義されるのを考えると
4〜10月まで大体夏になってしまうからだ。
ブログに書く小ネタが無いので困っている。少し遡って、夏の話をしよう。
鹿児島県民のみなさんは「夏になったからそろそろそうめん流しに行きたいね」という言葉を当たり前のように使うと思う。
私が福岡の大学に通っているときに「そうめん流し行きたい〜」と発した言葉を友人たちは
「『そうめん流し』を『する』んじゃなくて『行く』って初めて聞いた」と言っていた。
なにか文化的齟齬が起こっているな?と察して詳しく話をすると一般的なそうめん流しと
鹿児島の概念そうめん流しは大分カルチャーが違うことがわかった。
まず「そもそもそうめん流しに行く」ということが鹿児島特有のものだった。
Google mapで流しそうめんと検索した結果がこちらだ。
マップをご覧いただいて分かる通り、密度が異常である。
これがなぜなのか調べたところネットの記事にこういうものが載っていた。
唐船峡そうめん流しの歴史は、いつ、どのようにして始まったのでしょうか?
それを説明するには1960年前後の時代背景から説明する必要があります。
戦後日本は目覚ましく復興を遂げていき、新婚旅行ブームと高度経済成長の消費拡大を背景に、
宮崎県や鹿児島県指宿市の砂むし温泉は旅行先として絶大な人気を誇っていました。
しかし、唐船峡のある開聞町(2006年に合併で指宿市に)は観光客が「通り過ぎる」場所でした。
中略
そこで出たのが、唐船峡に湧き出る湧水を利用して「そうめん流し」をするアイデアでした。
昔からこのあたりでは、地元の人が家から湯がいたそうめんを持ってきて清水に浸して食べていました。
(となりのカインズさんより)
綺麗な水を資源にした観光戦略がまんまと県民に浸透していったということのよう。
唐船峡で竹を使った流しそうめんが繁盛し、竹を使った流しそうめんに衛生的な不安面や
コスト的な面を考慮して唐船峡の社長が鹿児島市のメーカー・鶴丸機工商会に直で交渉、
回転するそうめん流し台テーブルが完成したのが経緯、とのこと。
今の所あのそうめん流し台を製造しているのは世界で鶴丸機工商会しかない。
素晴らしきかな鹿児島概念流しそうめん。
県外の友人が鹿児島に遊びに来た際連れて行くと今の所100%の確率で喜んでいただける。
中には「そうめん流しにもう一度わたしを連れて行け」とわざわざ再来日する猛者もいた。
そんなこんなで、コロナ禍前は一夏に5回そうめん流しに行くはめになった年もあった。
最近、旅行支援制度も復活しているのでまた県外の友人に鹿児島にきて存分にそうめんを流してほしいと切に願うのであった。(Y村)