タイトルも導入も締めも苦手なので、話からぶっこみます。
私は話すのが下手くそですが、言葉が好きです。
言語ってすげえ。
物や事象はまだしも「切ない」とか「心配」とかの言葉を作った人は
それをどうやって周りと共有したんでしょうね?
「楽」と「喜」の区別や「寂」と「悲」の区別もなかなか伝えるのは難しそうです。
今はこんなにも言葉がありふれているから、どうにかこうにか伝えられますが、
言葉なしで感情を伝えるのってとてもむずかしそうですよね。
となると順番的には物体の名前がついたのが先で、感情にも名前がつけられたのは後のことなのでしょうか?
最初は身振り手振りで必死に伝えたんですかねえ。
そう思うと言葉がない人間のほうが感情豊かな感じもしますね。
てか、印刷も通信機器もない時代にどうやって共通言語を広めるんだ。
まあ昔の世界は今よりもっと細分化された個々の世界だったんでしょうが。
それぞれの地域で誰かが「言葉作らね?」と思ってそれぞれ言語を作り出してんのやばい。
違う言語を話す人間と会って、翻訳した人もやばい。
ありがてえですね。
ありとあらゆる感情や思いを、共通の認識を持った〝言葉〟として
できるだけありのままに人に伝えられるってまじですごい。
他言語間では微妙なズレも沢山ありそうですが。
英語には表現のない日本語も多々ありますし。
言葉はあっても、何だその感情知らん。わからん。ってことは身近でもあるんでしょうね。
言葉には表しようのないニュアンスもあるのでしょうし…
同じ言葉を使ってても、受け取り方は人によって違ったりする。
我々はできるだけ誤解のないように、言葉を使って誰かになにかを伝えるけれど、
そこに誤解は生じるものだという前提を忘れてはならない。
話し合って擦り合わせて尚「根本からわかりあえねえわ」ってなることもある。
まあ、わかりあえなくても知ることは大事。
知ったことって、もう一生「知らない」にはならないのやばくないですか?
まったく世の中は驚きと学びの連続ですね。
私を理解し、他人と世界を知るために、
それを誰かに伝えるために、
まだまだ語彙が足りないなあと思う日々です。
でも私の語彙だけが増えても意味はないのやばい。
やま。
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