同期の桜
- 2023.02.02
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「主人はね、飛行機に乗っていたんですよ。少年航空兵で」
とある取材で奥様がそう、明るい声で仰いました。
今から10年ちょっと前は一日の取材の中で戦争経験者が
何人もいらっしゃることがありましたが、この数年はぱたっと…
予科練やシベリア抑留といった単語を聞く機会も少なくなりました。
この「少年航空兵」という言葉も、久しぶりにお伺いしました。
そして戦争と飛行機の話になると、私の胸をよぎるのは
もう鬼籍に入ってしまった、大好きだった祖父のことです。
祖父は昭和3年5月22日生まれ、どうやら出生地は北海道らしいのですが
紆余曲折を経て宮崎県の高原(たかはる)にてガキ大将時代を過ごしました。
この頃に祖母と出逢っているので、二人は所謂幼なじみです。
もう、自分が幼い頃の祖父との思い出は朧気になってしまっている部分も
あるのですが、今でも覚えているのは、大きな手で私の頭をなでながら
「特攻隊に志願したんだよ」と話してくれたこと。
そうするのが当たり前だと思っていたこと。
でも日本を守るとかそんな大きな気持ちでは決してなかったこと。
片道分の燃料だけで、死への航路に向かう飛行機を何機も見送ったこと。
そして多くの兵士が「お母さん」と泣きながら散っていったこと。
あと数日、戦争が長引いていたら自分も出撃していたこと、です。
もしも祖父が大空に飛び立ってしまっていたら、母は生まれませんでしたし
当然私もこの世に存在していません。
知覧の特攻記念館に行くたびに、私はいろんな気持ちがあふれてきて
人目も憚らずに泣きじゃくってしまいます。
〝生かされている〟ことに感謝して、また頑張ろうと思わせていただいた、
素敵な奥様との出会いでした。
ご機嫌な私を眺めるご機嫌な祖父の写真で締めくくります。
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