「見てごらん」と差し出されたのは、年季の入った分厚いノート。
93歳の祖母が見せてくれたのは、30年ほど前に作った自身の短歌の練習帳でした。
聞けば、60代の頃 短歌を習いに教室へ通っていたそう。
最近のステイホーム期間で古い本棚を整理していたら
当時の短歌帳を見つけたと教えてくれました。
祖母の意外な趣味に驚きながらページをめくると
今は亡き祖父との暮らしや故郷の喜界島、
戦時中に過ごした少女時代を詠んだ短歌が並んでおりました。
感じたことを「5・7・5・7・7」の31文字で描くのは難しく、
何度も書き直したり、教室で先生に添削していただいたそうです。
「もっと工夫できるはず」「○○さんらしい言葉を見つけてください」。
短歌に添えられた先生からの赤ペンのコメントは、お礼状に携わる私自身にも刺さるものばかり。
読み進めていく中、徐々に合格をもらう作品が増え、
大きな花丸をもらった作品には、なんと私たち孫のことを詠んだ一首が。
遊びに来ていた孫たちが帰ってしまう寂しさを、先ほどまでのにぎやかさと
老夫婦2人がこたつで黙ってミカンを食べる今の静けさの対比で表現した当時の祖母。
孫が大人になった今も、皆が帰ってしまうと 少ししょんぼりする祖母らしい視点で
いつも口にする「また来てね」に込められた想いの大きさに気づかされました。
写真のように鮮やかに場面を切り取り、
日記のように生き生きと感情を残せる「短歌」という表現方法。
自分にしか残せない言葉で刻まれた思い出が詰まった練習帳を見つけ
祖母はどうやら短歌熱が再燃したようで、
「100歳までに何首つくろうか」とさっそく新しい目標を立てておりました。
いそいそと新しいノートとボールペンを準備する祖母の背中に励まされ、
「ことばの奥深さをもっと知りたい」と改めて思った1日になりました。
OP:N